株式会社 田中三次郎商店

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田中三次郎商店名物、
田中宏会長が語る
歴史秘話

昭和12年生まれの田中宏会長が
社員を聞き手に語る、
驚きあり笑いあり、
全田中三次郎商店が泣いた!
︙かもしれない社史の背景にある物語。
全4回でお届けします。

田中三次郎商店四代目 田中宏

1937年福岡県小郡市に生まれる。田中智一朗社長の父親で 現会長。現在の田中三次郎商店の骨格をつくった人物で、質、量共に経験が圧倒的な会社の歴史の生き字引。政財界の大物とも会ったばかりの外国人ともニコニコ交流し、軽快な話術と玄人はだしのマジックで相手を楽しませる達人。「仕事は人生を楽しく走るためのツール」と語る一方、商売においてはかなりの負けず嫌い。夫婦円満。忘れものは多め。

聞く人

  • メッシュテクノロジー事業部兼水産・環境事業部
    神永剛士

    2017年入社。前職では半導体設備のエンジニアとしてシンガポールに。仕事を辞めてのアジア旅行中、九州に立ち寄った際に、シンガポールで遊び仲間だった稲井常務に誘われて田中三次郎商店の一員に。担当業務は石臼の輸入販売、設置、メンテナンス対応。米派だったが、石臼を通してこだわりのパン屋さんを知り、すっかりパン派に。趣味はウェイクボードやバイク。

  • 総務部配送グループ
    天本恵美

    2022年入社。スポーツインストラクターや介護福祉士といった仕事をしていたが、別の道を探る中、未経験者OKの求人をあたっていたところ田中三次郎商店と出会う。「まだ頼ってばかりだが、皆さん親切」で安心して働けている。学生時代は陸上部で九州大会にも出場。人見知りで慎重派である一方、負けず嫌いな一面も。趣味はTVerの見逃し配信を1.75倍速で見ること。

エピソード4/
成熟期〜異分野への進出と代替わり

ミラクルな出会いから、海外との取引が広がる

神永エピソード3までは、メッシュ事業での激動をお話しされていますが、1990年代には並行して、現在の生物標識・モニタリング事業につながる、水生生物の生態調査のためのタグと、それに石臼も、海外のメーカーさんからの輸入が始まりますよね。

田中どちらも私が、「これを始めよう!」と思って乗り出した事業ではないのですよ。タグはですね、使いたいと探していた、福岡県の水産課から依頼されたんですね。「おたくは水産機材なんかの輸入事業もしてるから扱えるのでは?」と声をかけられまして。

神永それで探して。

田中これはですね、スペインであった展示会から足を延ばして家内と行った、モロッコでの出会いを先に話さなくてはならないんですね。

天本モロッコ旅行での出会い、ですか?

田中アフリカ大陸に行く機会もなかなかないだろうからと、家内の希望もありましてね、せっかくだからと赴いた先の、モロッコのレストランで、アメリカからの一行と一緒になりました。この方々と意気投合しまして、大いに盛り上がりましてね。私はその様子をビデオカメラで撮っていたんですよ。それで連絡先をもらったその中のひとりに送ったんですね。喜ばれまして、そのときいたメンバーにダビングして渡されたそうです。

神永そういう“意気投合”のご経験が本当に多いですね。

天本でも、そこからどうタグの話につながるのですか…?

田中県の水産課からタグを扱えないかという話があったのは、それから半年くらい後ですかね。アメリカのNorthwest Marine Technology社に行き当たりまして、取り寄せたい製品がある旨当時FAXで連絡を入れました。それに返信をくれた方こそが、モロッコで一緒に盛り上がったグループの一員で、Northwest Marine Technology社の、しかも海外部長さんだったんですよ。

天本そ、そんなことってあるんですか?

田中あるんですねぇ。私もびっくりしましたよ。うちの家内とあちらの奥様が、レストランで隣同士で座っているのがビデオに残っていました。このときも偶然の出会いと意気投合をきっかけに取引が始まったんですね。この海外部長さんがまたいい方で、おかげでその後もずいぶんと、事業の幅を広げることができました。彼には息子もお世話になってますしね、ずっと親交が続いていますよ。

神永なんというか、幾重にもミラクルですね…。

田中会うべくしてキーパーソンに会うんですねぇ。神様はいると思いますよ。

天本どうしてそんなに、いろんな方と仲良くなれるのですか。

田中家内がよく「あなたは厚かましい」と言いますね。私には、気後れするということがないんですよね。財布がないことに気づいた飛行機の機内で、見ず知らずの人にお金を借りたこともありますね。そういうことは多いですね。

天本そういうことが多い、のですね…。

田中多いですよ。

夫婦で、列車に乗って訪ねた先で、石臼を仕入れた

神永石臼のほうはどうですか。こちらも、うちでやろうと思って始めたのではないということですが。

田中石臼はですね、先に導入している製粉会社さんがあったんですね。良さを聞きつけた同業者が興味を持ったのですが、同業者には売らないと言われたそうで、なんとか仕入れられないかと相談されました。スイスの出張時にあちらで尋ねたところ、オーストリアの石臼メーカーを紹介してくれましてね。その足で、家内と二人、列車でオーストリアのリエンツにある、オストチロル社に向かいました。1993年ですかね、EUが発足する少し前だったと思います。オストチロル社のショールームで見せてもらった、5〜6台の大型の石臼をコンテナに積んでもらいました。

天本行動力がすごいです。

田中その、コンテナで運んでもらった石臼がすぐに売れたので、また戻って小型も仕入れたのですが、やはりすぐ売れました。ただ、こういう製品はメンテナンスが必要ですからね、主力商品にしようとは思わなかったんです。ところが、しっかりした製品で、かつ構造がシンプルだからでしょうね、メンテナンスもさほどの頻度ではなかったですし、とにかく売れるものですから本格的に扱うことにしました。

神永木と石でできていて、つくりはしっかりしていますがシンプルですよね。

田中使う側にとっても扱いやすい製品ですね。製粉会社さん用のは大型ですが、だんだんと評判が広がりましてね、いまはパン屋さんから、蕎麦屋さん、最近だと個人でも、小型のを欲しいという方がいらっしゃいますね。

神永裾野が広がる一方で、大手コンビニチェーンで売られている蕎麦も、田中三次郎商店から納入された石臼で。

田中それでおいしくなったと言われているようですよ。いくら評価は高くても、次々あたらしく買い替える製品ではないですし、うち全体の売上構成の中で突出することこそありませんが、最近も、ほかが落ち込んだときに、石臼の売上でカバーできたこともありますからね。

「楽しんだもの勝ちですから、負けません」

天本ここまでお聞きしたところによると、タグの事業も石臼の事業も、幸運に恵まれたスタートで、その後も順調だった印象です。エピソード3のような攻防は、あのときだけだったのですね。

田中この二つの事業は、そうですね、どちらも田中三次郎商店と海外との結びつきを強くしてくれました。まぁでも、あのエピソード以外にもいろいろありましたよ。うちはね、早い時期に、先見の明がある人のアドバイスに従って、8つの製品の商標権を取ったのが良かったんですね。大手の商社を訴えたこともありますからね。

天本裁判は、ギリギリで踏みとどまったお話で終わりかと思ってました。

田中いえいえ。裁判は大好きですね。

神永、天本ええっ!

田中裁判というものはね、嫌だと思って心が折れた方が負けなんですよ。まぁ、楽しんだもの勝ちですよ。私はとにかく負けず嫌いですからね。

神永楽しんだもの勝ち。

田中そうですよ。楽しんだもの勝ちですから、負けませんよ。裁判もですが、商売において、営業で、ですね。母から「一番になりなさい」「一流になりなさい」と言い聞かされていましたからね。お客さんになってもらいたいと狙い定めた相手は、最初は門前払いでも、必ず落としますよ。自分より遥かに大きな相手を落とすコツは、まずはリサーチです。相手の、一番儲かっているところを把握して、そこを集中的かつ長期間攻めるんです。「田中さん、また来たんですか」と煙たがられながら、相手が音を上げるまで攻め続けます。長いときは20年。

天本20年ですか…!

田中そんな人はなかなかいないんでしょうね。だから、相手が音を上げるんです。

天本それはなかなか、いないでしょうね…。

神永5代目の、現社長はタイプが異なりますよね。

田中私の息子ですから、商才はないわけないと思ってましたよ。ただ、経営を譲るときに心配だったのは、私のように、ツキがあるかというのと、あと、家内に似たんでしょうね、おとなしいというのですかね、私のように人を押し退けてでもというところがありませんので。

先の読める5代目に後は任せて、マジックを磨く?

神永継ぐことは、現社長が子どものころから、やっぱり既定路線だったのですか。

田中息子が小さいころから、私が折に触れてそう口にしていたんでしょうね。小2くらいのときでしょうかね、学校で、「あんまり後を継ぐように言われるから、ごはんがおいしくない」という文を息子が書いたんですよ。それから言わないようにしましたね。

神永プレッシャーだったんですかね。

田中その割に本人は、書いたときの心境も忘れたと後々話していましたよ。高校のときに、「(いまが)楽しい」と息子が言うので、「社会に出たらその100倍楽しいぞ」と私が答えた言葉のほうは覚えていまして、継ぐことも、むしろ楽しみにしていたようですね。

天本2008年に、5代目の現社長に譲ってからは、どんな目でご覧になっていましたか。

田中信じて任せようと思ってはいましたけどね、期待以上にできましたね。私ほどにはツキに恵まれていないかもしれませんが、私より先を読む力がありました。データを扱えるのも強みですね。結果として、私よりはるかに実績を残していますからね。

神永それは会長にとっても良かったし、我々にとっても良かったです(笑)。

田中ははは。私は最高の人生を歩んで来ることができました。好きに選べたとしても、もう一度この人生を生きたいですね。社員の皆さんも、周りの人も、そうだといいと思っています。ですから、これからも、田中三次郎商店に関わって良かったと思ってもらえるような会社であってほしいですね。

天本ご自分で最高の人生と言えるのは素晴らしいですよね。

神永エピソードの締めくくりに、ほかにおっしゃりたいことはありますか。

田中神様はいます!ということですね。何度も奇跡のようなことが起きているんですよ。あれがなければ、あの人と会わなければ、こうはなっていないという出会いが何度となくありました。だから、あぁ、神様はいるんだなぁと。神様はいますよ!

天本「神様」で締めくくっていいのかはわかりませんが…。

神永いる!ということで。

田中それはそうと、あとでマジック見ますか?

天本新作ですか。

田中赤い金魚と黒い金魚とどちらがいいですか?

神永金魚出すんですか!?

田中会長はマジック(手品)の名手です。

歴史秘話を聞いてみて

  • 神永いまの田中三次郎商店が根底に持つ、新しいことに躊躇せず挑戦する行動力や、人とのつながりを大切にする姿勢について改めて認識することができました。私自身も、この姿勢を大切にして、今後の行動に反映させていきたいと思います。また、裁判の話で聞いた「楽しんだもの勝ち」「嫌だと思ったら負け」を忘れずに心に留めて、前向きな姿勢を持ち続けたいと思います。

  • 天本社歴が浅く、会長のお話をゆっくり聞く機会がなかったので、貴重な体験でした。中には衝撃的なお話もありましたが、まだまだたくさんのエピソードがあるのですね。会長は人を惹きつける力、人から愛される力に長けていると感じます。また、人とのつながりを大切にする方なので、多方面の仕事が生まれたのだと思いました。会長の物怖じしない行動力、見習いたいです。