SPECIAL
特集㉒
趣味のバイクレースから
始まって
測位の裾野を広げた
スーパーマン
「必要に駆られて」「趣味が高じて」自作した。…その道のエキスパートが一歩目を踏み出したきっかけとして、ときどき聞かれるエピソードではあります。矢口尚さんも、そうでした。そうではあるのですが、矢口さんが自力で開発したもののジャンルは、一つではありません。しかも現在、矢口さんの会社で主力とする製品は、測量の世界のチェンジメーカーになり得るのです。売り上げの伸びも尋常でありません。ご本人はいたって自然体といいましょうか、気負いを感じさせないところが逆に拍車をかけて、お話を聞くほどに「この方はスーパーマンか」と思わされました。長野県松本市でビズステーション(株)を経営する矢口さん、田中社長も頼りにするスーパーマンのご紹介です。
信州・松本にいるらしい、
その人に会いに
長野県松本市に、「めちゃくちゃおもしろい人がいる」と田中社長に言われました。矢口さんという、“天才”だといいます。田中三次郎商店が研究者と共にかねてより取り組む、ドローンを用いた生物追跡で活用するGPS関連のツールの会社をやっていらして、その会社、少人数でありながら恐るべき勢いで成長しているそう。教えてもらったWebサイトを見てみると、事業内容には「販売管理、財務会計ソフトウェアの開発・販売、システムコンサルティング、IoT機器の開発・販売」とあり、結局、わかるようなわからないような状態で、取材に伺うことになりました。
ビズステーション(株)は、松本市の市街地から車でやや走った、住宅街のような場所にありました。ハイテクな事業内容を、外観からはうかがい知ることができません。慣れた足取りで迷いなく外階段を進む田中社長の後に続く我ら。やはりハイテク感は、特になさげな事務所から、矢口尚さんは飄々と現れました。田中社長は、同社から購入した製品の使い方を尋ねるために、初め何度か電話されたそうです。親切丁寧に教えてくださる電話口の矢口さんを、社長とは思いもしなかったと。余談ですが、お二人がお話しする様子を側で見て、両者が社長だと当てられる人は少ないように思います。
バイクレースが好き。
そこが始まりだった
さて、設立は1993年というビズステーション、最初は工具の販売代理店でした。高専卒業後、地元長野県に本社を置く大企業、セイコーエプソンに就職して4年半勤めた矢口さんですが、オートバイのレースに夢中で、「土日だけでは練習しきれずに、有給を使い切っていた」そうです。まだ20代の半ばでしたが、独立を考えるようになった矢口さん、最初のうちは迷ったものの、「5月の連休に車で遠出をしたとき、やっぱり車に乗るのが好きだと実感して、車で営業ならできるな」と踏ん切りがついたといいます。アメリカの大手工具メーカーSnap-on(スナップオン)の販売代理店として、自動車やバイクの整備工場などに営業に出かける日々が始まりました。
矢口さんは、義務付けられていたスナップオンのアメリカ本社への日報の作成が、何より手間に感じました。インターネットはなく、パソコンも一般的でなかった時代、夥しい種類の工具が掲載されているカタログで細かい価格表を確認するのが、視力の悪い矢口さんには大変だったのです。この作業をなんとか楽にしようと、本屋さんで購入した本を見ながら一人で作った管理ソフトはその後、販売代理店仲間に「売ってほしい」と言われるようになって広がっていき、遂には約300ある代理店に標準導入されます。なんとメーカーの日本本社にも矢口さん製のソフトウエアが導入されるに至りました。以来30年もの間、矢口さんによって改良されながら使い続けられている、それに耐える品質のものを、矢口さんは作ったのです。
通常であれば、ここまででも十分立派な会社の成長物語ですが、ビズステーションにとっては序盤です。矢口さんにとっては、16歳からやっていた、バイクレースが始まりでした。大けがでしばらく離れたこともあったものの、大きなバイクからミニバイクに替えて再開しました。より速く走るためにサスペンションの動きを詳しく知りたいと、そのためのログを取る装置を自作したことが、はからずもビズステーションの転機になりました。サスペンションは、バイク本体とタイヤを結び、走行時の衝撃を吸収するバネ状のパーツです。矢口さんのようなライダーは、天候や路面状況などにより、また、その人の体格などによって、個別に調整します。この調整を最適化できれば、ラップタイムの向上が期待できると考えた矢口さん。「サスペンションがどこでどう動いているのかのデータとライダーの体感の相関性や、例えば昨日と今日、上手い(速い)仲間と自分との比較を、ラップタイムと重ねて検証してみたかったのです」。
作ってみたら、
価格を実現できた
従来品の10分の1以下のバイクレースにおいてラップタイムというのは当然ながら重要ですが、従来、コースのゴールラインに埋め込まれた磁石で通過する車体を感知して計測されていました。しかしその磁石が物理的に飛んでしまったり、そもそも入っていなかったりと、コースに依存するのが課題でした。「GPSで計測するほうがいいんじゃないかと思ったんですよ」。加えて、前述したように矢口さんは、サスペンションが“どこで”どのように動いているかのデータも欲しかった。「でもいいものが売っていなかったので、自分で作ることにしたんです。半年ほどで完成し、試してみたらどちらもうまく測れたんですね。それが最初の、GPSとの関わりでした」。現在のビズステーションの主力商品『Drogger』は、こうして誕生し、機能の向上や追加も、引き続き着々と進められてきました。ユーザにより違った用途で活用されるポテンシャルも、どんどん広がっていきます。結果、2018年に570万円だった関連部門の売り上げは、2024年には約5億円(見込み)…!
びっくりした気持ちを落ち着けて、ここで、「多くの人はちゃんと知らない」(私もそうでした)と、田中社長も強調するGPS機能について少しだけ。GPS(Global Positioning System)は、GNSS(Global Navigation Satellite System)すなわち衛星測位システムのうち、アメリカが開発し、管理しているものです。複数の衛星から位置を計算するための信号が発信され、それらが地上の受信機に届くまでの時間と、衛星と受信機の間の距離から、受信する側の位置を割り出しています。これによりスマホでも簡単に位置情報が得られる時代になりましたが、ビズステーションが販売する機器では、その精度がまるで違います。
ビズステーションの『Drogger』ブランドの製品は、測位の世界で活用が進んでおり、公共測量の現場でも採用されています。この、「公共測量」で使用を許されているのは、国土地理院が「1級GNSS測量機」として認め、登録されたもののみで、10kmあたりの誤差が1.5cm以内である必要があります。スマホのGPSの誤差は数メートル単位なので、実力は比べるまでもありません。国家資格保有者が不動産としての土地の、境界線を決めるなどの目的で使用するのですから納得です。そうした重要な役割を果たす1級GNSS測量機は、どれも従来100〜500万円しました。そこに登場したDrogger製品がいくらなのかといえば、なんと10万円前後。少なくとも1級GNSS測量機としては、プロもびっくりというか、プロならびっくりの価格です。「始まりはミニバイクの人向けでしたから、一般の個人が買える製品を念頭に開発したものです。ですから数百万円する製品は、さすがに僕らの作るものとは違うと、当初思っていたんです。いざ完成してテストしてみると、あまり違いがなくて」と矢口さん。
(うまくいったのは)
たまたま世の中の求めと
合っただけ。
「考え方に壁がなく、
まず始められる人」と
一緒にやりたい
「他がどうかとか、相場感でつけた値段ではなく、これはうちとしての適正価格なんです」というDrogger製品は、その価格ゆえにユーザの裾野をぐんと広げ、バイクのライダーはもちろん、耕作や種まきの際、真っ直ぐに走らせるためトラクターに装着しようと農業を営む個人からの購入があったり、田中社長のドローンに装着され生物追跡の現場で活用されたり。発売時には3ヶ月で250個が売れました。いえ、いまとなってはNTTやパナソニック、大手ゼネコン各社、さらには地図情報で有名なゼンリン、泣く子も黙るJAXA(宇宙航空研究開発機構)までを顧客とし、次は海外、主に東南アジアへの進出を準備中というのもお伝えしておきます。
とどまるところを知らないビズステーションは、これからも測量機の可能性の追求を続行する方針です。景色や建物をスキャンするように再現して測量分野に活かせないかと、点群処理の技術にも関心を寄せています。矢口さんの頭の中では毎回、イメージをイメージ通りに形にするための工程がおおよそ出来上がっていて、あとは手を動かすだけ。「いよいよ形になって、動作すると喜びを感じます。例えば作曲家のように音楽をつくり出すことは、僕にはできませんが、こういうものなら大体はできる感触を持っています」と。
ただし、このスーパーマンの任務には社長業もあります。「みんなが作らない、やらないことを、無理だと思わずにやるからこれまで商売になってきたところはあります。反面、何でも自分でやると、できることの可能性は小さいし、限界はきやすいですよね」と課題を語る矢口さん。特に、共に開発に携わる人材が必要でしょうが、その点では田中社長も「矢口さんみたいな人は他にいないし、同じようにやろうと思えば優秀な人材が4人は必要でしょう」と。それに対して矢口さんは、「いまの時代、たとえ分野的に未経験でも、技術面はなんとかなるものです。なので、マインド面でプロフェッショナルな人。考え方に壁がなく、まず始められる人。機を待って踏み出せない人が多いので、そこがまず重要だと思います」とおっしゃったあと、「必要なのは基礎的な理解力とでもいうのですかね、それをどこに振り向けるかでしょうね」と付け加えました。我こそは!という方は、ビズステーションの矢口さんまで。
田中さんはまさに、
考え方に壁のない人ですよね。
取材を終えて
矢口さん、いまもバイクレースは続けているし、「テレビ大好き」だそうで、お酒の席ではバラエティ番組で得た健康知識と放映中の法廷ドラマのおもしろさを熱心に語ります。で、睡眠時間は毎日8時間だと。「(稼働時間として)計算が合わない!」と田中社長含め我ら一同。ご自分のコピーロボットも開発したのでしょうか、測量法にも専門家から相談されるほど詳しいらしく、常人が一人でできる範囲を超えた活動をされています。「スーパーマン」としたのはそれゆえですが、「息子は自分よりはるかに優秀」「娘は自分と違っておもしろい」とおっしゃっり、「もしや2世もスーパーマン?」と尋ねれば、「しいていえば一緒に歩んできた妻が、です」と完璧な回答が返ってきました。(取材・文:みつばち社小林奈穂子)
大変だとか大変じゃないとか、
あまり考えないほうです。