SPECIAL
特集⑬
海と川を行き来するスズキ。
京大の研究者たちの、
釣りにはじまる生態調査
(前編)
京都北部を流れる由良川に集ったのは、京都大学フィールド科学教育研究センターの研究者を中心とするチーム。それがどうして、まるで釣りのセミプロ集団でした。釣り好きが高じてこの道に進んだという方が少なくないというのです。フィールド科学教育研究センターは、森から海につながる生態系を幅広く研究する、この分野で日本を牽引する機関。日本の頭脳とも言える研究者のみなさんを夢中にさせたのですから、本題とはズレますが、「釣りってすごい」と、釣りそのものに尊ささえ感じてしまいました。この度はスズキの調査のため、川に遡上してきた個体を捕まえて発信機をつけるなどの研究活動に同行。どんな生き物もミラクルを秘めていて、スズキもまたそうであります。ミラクルをガイドしてくださったのは、本プロジェクトのリーダーであり、フィールド科学教育研究センターの元センター長、京大名誉教授の山下洋先生です。この大先生についてのお話も、後編でしっかりお届けします。
前編
「スズキの生態調査に挑む、
釣りの腕自慢研究者たち」
(後編はこちら)
超音波発信機からのデータで、
スズキの行動を把握する
由良川で、見慣れない機器を川から引き上げる京大の研究者たち。それが今回の取材で最初に目にした研究活動の様子でした。ダイバーのように少し潜って、引き上げた30センチほどの円錐型の機器類は、超音波受信機と、水温、塩分や水深の変化を測るもの。おおよそ半年おきに引き上げて記録データをダウンロードします。半年も川の中にあったので、フジツボがびっしり付着していることもあり、見た目にはそれほど価値のある機器には見えないのですが、日本では所有する研究機関も少ない特殊な海外製だそうで、値段(ヒミツです)をお聞きしてびっくりしました。フジツボを除去し、データをダウンロードしたら、再び水中に戻します。流れてしまわぬよう、杭などに固定します。
その場(河原)でパソコンを開き、ダウンロードしたてのデータを確認した三田村啓理教授が「おおー、通ってる、通ってる!」と喜びの声をあげます。発信機を装着して放ったスズキがいつこのあたりを通過したのかを、データが示していました。超音波受信機では、魚までの距離が最長500メートルほど、条件が悪くてもだいたい200〜300メートルであれば感知できるのだそうです。このプロジェクトでは、受信機を由良川だけで数キロおきに12ヶ所設置し、スズキの行動分析を行います。
科学の力で、
不思議の解明に挑戦
シー(Sea)バスと呼ばれるように、スズキは海由来の魚とされています。海と川を行き来する魚と言われると最初に思い浮かぶのはサケですが、サケが川で生まれるのに対し、スズキはウナギと同様、海で生まれます。何気に「へー、海と川を行き来ね」なんて聞き流してしまいそうですけれど、海水に棲む魚が淡水に(その逆も)進出するには、浸透圧調節に多大なエネルギーが必要なのだといいます。ではなぜ、それほどのエネルギーを費やしてまで、スズキは川にやって来るのでしょう。しかもちょっとやって来るわけではなさそうで、河口から40キロもの上流でも大型のスズキが確認されており、山下先生によると、そのほとんどがメスなのだというのだから不思議です。
70センチ以上にまで大きくなったスズキには、海にもそうそう天敵がおらず、「川の方が安全だから」との説は成り立ちそうにありません。釣り人たちに共有されている、夏の終わりから秋にかけて、産卵のために川を下る「落ち鮎を目当てにやって来る」説は、そりゃあ鮎はおいしいから!と科学を無視して採用したくなりますね。実際なかなか有力そうなのですが、科学的な裏付けはむずかしく、これまでなされてこなかったといいます。この調査で研究者たちを沸かせたのは、発信機を装着したスズキのうち数匹が、落ち鮎シーズンが終わっても川にとどまっていることを示したデータ。いよいよ不思議が深まります。また、さらに山下先生にお聞きしたところによると、子どものときはオス、メス関係なく川に遡上して来るのが大人になるとほとんどメスに。「一般に、魚はメスのほうが大きいので、その分たくさんの餌を必要とするため、頑張って、より餌が豊富な川に来る。対するオスはそこまでする必要もなく、海にとどまるのではないかと見ています。子どものときはオスも頑張るのですが、大人になると怠けるのではないかと(笑)」。スズキへの興味が増しますね。
川のスズキの調査だから、
川で捕まえないとね。
ついて回る
最初の作業が釣り。
楽しく難儀する
山下先生率いる本プロジェクトでは、超音波による個体の追跡のほか、研究者にとって魚の履歴書となる耳石の解析、それから、特定の水域から汲んできた水を調べることで、そこにいた魚の種類が特定できる環境DNAの手法を組み合わせて、これまでに解明されていないスズキの生態を調査します。取材で滞在した5日間、そしてその前後も、毎日行われていたのがメンバーほぼ総出の釣りです。超音波と耳石による調査には、まずは川で泳ぐスズキの個体が必要で、捕獲するのに有効な手段こそが釣りなのです。川のあちこちに分散して、毎日夕方4時から、遅いときは夜11時を回るまで、ひたすらルアーを投げ続けるメンバー。釣れるとLINEで連絡する申し合わせができていますが、取材1日目はスマホが沈黙したまま。
鳴らないスマホに、真っ暗な川で数人がかりで数時間、それが徒労に終わるだなんて…と同情心が芽生えかけましたが、三度の飯より釣りが好きと思われる方々にとっては、決して徒労ではないとわかってきた3日目には明るく見送り、私はというと、地元の和食屋さんでおいしく食べた煮魚から、慎重に耳石を取り出すべくチャレンジ。趣味でこれを集めてもいるという山下先生にご教示いただいた耳石探索は、初回で無事に成功しました!
ついに釣果に恵まれ、
元気な個体を確保!
かくして、スズキはなかなか思ったようには釣れず、少々焦りも出てきました。頭脳も釣り偏差値も高いみなさんをもってしても、釣れないときは釣れないのです。もちろん、チームでは釣り以外の手段も試みており、今回は、小型の定置網を仕掛けて、朝めでたく元気な一匹が入っていた日もありました。ちなみに過去には100メートルを超える巻き網を試したこともあって、それは失敗に終わったそうです。一流の研究者の活動も、試行錯誤の連続です。雨のあとがよく釣れるのだと、秋晴れの下、冗談ながらも科学者にして「今晩は雨乞いしてください」と、神頼みを口にする方も登場。そんな思いが通じたのか、釣果は尻上がり!面目躍如、発信機をつけて放たれるスズキの一団が無事にそろったのでした。このプロジェクトはこのあとも続き、論文になる予定です。学術界のみならず釣り界も注目ですよ!
途中、耳石チームとして東大の研究者が合流したり、腕に覚えのあるポスドクや院生といった若手がスズキを釣り上げ山下先生を羨ましがらせたり、これまでもかなり貢献されているという地元の小学校の先生が釣りに加勢したり、クロダイや「刺さるとキケン!」なダツが釣り上げられ(こうした魚も川にくると知らなかった私は呆然)リリースされるなど、さまざまを目撃することができました。釣りにはまったく興味がない派の久米学先生に、陸で魚についてレクチャーを受けながら、釣り大好き派の釣りの様子を見守りつつ、釣りが人を惹きつける力に驚くやら感心するやら。影響されて始めようとまでは思わなかったものの、ウェーダー(防水の胴長)で夕暮れの由良川に入り、空と川面が静かに夕に染まるところに居合わせてみると、山下先生の、「(釣れなくても)こうして川にいるのが気持ちがいい」との言葉が少し理解できた気がしました。後編では、その山下先生に、研究者人生と、推進してきた『森里海連環学』についてお聞きします。
大事なスズキ、
元気なまま
連れて行きます!
はたから見ると、
川に集う謎の集団
(怪しくはない)。