SPECIAL
特集③
二兎を追えず、浪人、留年を
繰り返したラガーマン、
ヒラメを追う研究者に
一般には聞き慣れない「バイオロギング」という方法で魚の調査・研究を行う研究者がいます。長崎大学の河邊玲教授がその人。魚に取りつけたセンサーから得られる情報を分析して、これまでわからなかった生態や行動をつまびらかにしてゆくのです。バイオロギング(Bio-logging)は生物(バイオ)のデータなどを記録(ロギング)するという意味で、特に連続的観察のむずかしい自然の海洋動物の調査に向いているそう。海の中の生き物の行動を知ることにはロマンがありますが、それだけではなく、水産資源を適切に管理するために必要とされていることなのです。そんな研究に打ち込む河邊先生は、ちょっとユニークなご経歴。どんな仕事もそうですが、「研究者」への道も一様ではありません!
意外と知られていない
身近な魚の回遊生態に、
光を当てる研究者
お馴染みの魚でも、多くは生態が謎に包まれているといいます。たとえば、魚類最速ともいわれるバショウカジキは、時速100キロ以上で泳ぐと60年以上前の記録にあります。しかしカジキと一緒に一週間なり海の中で暮らした人間は(恐らく)いませんし、長らくきちんとした検証もされてきませんでした。河邊先生が最新の記録計を取り付けて泳ぐ速さを測定したところ、その結果はなんと時速5.4キロ…!それくらい、調査も追いついていないことが多いのだと。
魚にセンサーを取りつけて放ち、水深、水温、速度から、体の動きまで詳細に記録できるバイオロギング。この研究を牽引する河邊先生は、ヒラメを中心に調査を行い、取得できたデータの積み重ねから、どこをどのように移動して餌を獲り、産卵しているのかなどを読み解いてゆく研究者です。動き方にも、産卵場所の選び方にも、生存上必要な意味が隠されているはずで、明らかにすることが、人間にとっては大事な食料でもある、水産資源のための適切な環境づくりにつながります。
河邊先生のバイオロギング研究の進め方を簡潔に説明しますと、まずは対象になる生き物をよく観察します。彼らの生息場所となる好適な水温、水深も知っておく必要がありますね。次に、観察で得た記録などから、不思議な現象を見つけ出し、さらに調査を行うなどします。最後に、それらをふまえて、あらたな「不思議」を探すのだそうです。この過程で、生き物への理解がどんどん深められるといいます。粘り強く取り組み、未知の世界に光を当ててゆく河邊先生。どこから見ても立派な研究者ですが、ご経歴をお聞きするにちょっと変わり種!?寄り道を恐れる若い人には勇気を与えるかも(?)しれません。ここからは、先生がどんな道をたどってこられたかをお届けします。
元?神童、
ラグビーに青春を捧げ、
受験は二連敗
京都で生まれ育った河邊先生は、神童と呼ばれるような子どもでした。ところが、…と言うべきなのでしょうか、「小6の正月、父に連れられて行った花園ラグビー場で、ラグビーにいっぺんに魅せられてしまいまして。のめり込んで勉強どころじゃなくなりました(笑)」と。大学ラグビーの名門・同志社大学でのプレーを夢見る中学時代は文系を志望。ところが高校1年のときに出会った生物の先生の授業が面白く、幼いころ自然の中で遊んだこと、生き物に興味があったことを思い出したのをきっかけに、そちらの道に気持ちが傾いてゆきます。「といっても、高校のときのほとんどの授業は寝てました!夕方からの部活動に備えての休息です。ラグビーに青春を捧げてたので、成績なんてダメダメです。高校時代のハイライトは、京都大会で、(全国に知られる強豪校の)伏見工業と当たり70対0で負けたこと。準決勝ですから、それでも公立高校としては画期的だったんですよ」と、楽しそうにお話しになる河邊先生。
そんな河邊青年の受験は、ことごとく失敗に終わりました。しかも予備校時代にはビリヤードにハマってしまい、またまた勉学がおろそかになり翌年の受験でも全滅。二浪目に突入したある日、テレビで「サザエさん」を見て妹さんと笑っていたら、声を荒げることのなかったお父様に激怒されるという事件が勃発。次もダメなら見放すと告げられ、「小学生以来のカミナリは、さすがにこたえたんですね、そこからは一日3~4時間しか寝ずに勉強しました。気づくのが遅いタイプで…」と、若き日を思い返します。
ついに北大進学を
叶えたものの、次は二留
高1の勉強からし直すと、成績がぐんぐん伸び始めたそうです。さすが元神童。ついに、夢のまた夢だったはずの北海道大学合格を果たします。A判定だった水産学部を選んで受験したところ、「受かって初めて、北大は北大でも水産学部は札幌ではなく函館にあることを知りました」というところが、おおらかな(?)河邊先生です。
北海道でもまた、先生らしさを発揮。入学後すぐにグランドに行き、何気にラグビーを観たら、これがなかなかのレベル!絵に描いたようにラグビー熱再燃です。函館で水産学にどっぷりの大学生活のはずが、またしてもラグビー三昧…。結果、2年連続で留年。ご両親にはあれこれウソをついて切り抜けますが、「つくづく二兎を追えない人間です」とご本人談。
変化が訪れたのは大学四年になったとき。ハタと「僕は生物学がやりたくて北大に来たんじゃないのか」と気づき、それ以外の選択肢がなくて進んだ漁業学科で、巻貝のツブが匍匐(ほふく)する速度をはかって卒論にまとめたそうです。その後も大学院で巻貝の研究を続けますが、どうもピンとこない。もやもやしていたとき、ウミガメやペンギンにセンサーを取りつけて調査をおこなう京大の大先生のお話に衝撃を受けます。「猪突猛進タイプなもので、今度は、京大の博士課程に進みたい!と騒いだりしてね…」。でもこれが、河邊先生のターニングポイントになりました。
「いまとなってみれば、この職業に就けて幸せ者だとしか言いようがないです。あのときも、気持ちだけしかない人間が騒ぎ立てたのを、第一線の先生たちが取り合ってくれたのだから感謝するばかり。京大は叶いませんでしたけど、僕がやりたいことをできるような環境を当たってくれて、ときには僕のために頭を下げてもくれた恩師たち、それから、こんな息子に好きなようにやらせてくれた両親のおかげで、いまの僕があります。仕事が定まらないときには、ペンギンの調査で南極に行くか、ミナミマグロ(クロマグロの近縁種で高級魚)の調査でオーストラリアに行くか、ふたつの話が舞い込みました。ペンギンの調査は確実にデータが取れそうで、成果も出そう。一方、マグロの調査はそれこそ海のものとも山のものともつかぬ眉唾なプロジェクト。迷ったら困難の多そうな方をいうことでオーストラリアに行くことに、そこで一生の出会いがありました。いまに続くバイオロギングを用いた魚の調査も、前例がなく結果が見込みづらいし、お金はかかるし、周囲の理解と協力がなければ、できようはずもありませんでした。本当に恵まれていると思います」
研究対象はヒラメをはじめ平たい魚中心ですが、僕の興味は魚種を問いません
若い研究者には、
「僕の姿を励みに」
いまはこの分野でその名を知られる河邊先生も、その昔、一個60万円の加速度センサー搭載のデータロガー(バイオロギングで使う記録計の一種)をヒラメにつけて津軽海峡に放ち、「これがひとつも戻らなかったら僕は終わりだ」という緊張感を味わうこともありました。一番遠くは秋田で発見され、ヒラメが広域に移動することが判明。(北海道の)知内町の漁協からの連絡で回収できた一尾がつけていたものからは、ヒラメが海中で上がったり下がったりする動きを、データから読み取ることができました。仮説では立てていた、滑空するかのような動き。「あれを検証できたときは、震えるほど感動しました」と、興奮気味に振り返る河邊先生。
研究者としては、「魚の回遊の不思議」が知りたい一心なのだそう。「自分が生きている間にできるだけのことを解明させたいですね。こんなふうにやってきて、家族や周囲に助けられてばかりでしたけど、人を出し抜こうとか利用してやろうとだけは考えたことがありません。僕を暑苦しいやつだと思っている学生もいるかもしれませんが、やりたいことや将来の夢に挫けそうになったとき、こんな研究者もいるのだと励みにしてもらえれば幸いです」との言葉にはやはり、スポーツマンらしさが滲んでいました。
フィールドは海。海の男です!
取材を終えて
いわゆる「研究者」で、ここまでバリバリの体育会系の方は希少ですよね。いまとなっては間違いなく文武両道と評されるでしょうが、お話をお聞きすると、ご本人のおっしゃる「二兎を追えない」に納得です。言い換えれば、そのときどき一兎だけをほかに目もくれず追いかけていらしたわけですから潔い。たった一兎を見つけることも、追い続けることも、誰もができることではありません。そこに打算がないから、周囲の方々も応援したくなるのだと思います。ご自分を偽らず、夢に向かう情熱にあふれ、形にする力もお持ちだなんて、人生を愛さないわけがないですよね。子どもたちが目にしてワクワクする大人の姿だと思いました!(取材・文:みつばち社小林奈穂子)
回り道ばかりの高校・大学時代。こんな研究者もいるんです。