株式会社 田中三次郎商店

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特集②

ウナギから里山を考える。
流域住民と共におこなう、
資源回復への取り組み

2014年に国際自然保護連合(IUCN)より絶滅危惧種に分類されたニホンウナギ。九州大学大学院農学研究院准教授の望岡典隆氏は、長年ウナギを追い続けてきた研究者です。「アリストテレスの時代から」どこで生まれるか謎だったというウナギの、産卵場特定に大きく貢献する発見をした望岡先生。専門は、「丸くておいしい魚と、長くておいしい魚の生活史を明らかにする研究」なのだそうです。長くておいしい魚の代表格であり、日本人にとって特別な魚でもあるウナギを、「山、里、川、海をつないでいる魚」と話す望岡先生。天然のウナギを取り戻すことは、日本の多様で豊かな里山環境を取り戻すこと。それを目標にした、全国に広がりつつある取り組みのお話をお聞きしました。

“つなぐ魚”ウナギを入り口に、河川への関心を高めたい

登場人物:
九州大学大学院
農学研究院准教授
望岡典隆さん

第一線のウナギ研究者、
フィールドを、
海から川に​

日本の河川に生息するウナギは、成長すると海に出て、南の海で産卵します。ところが実際にどこで産卵するかは、古来からベールに包まれてきました。この産卵場に関する研究で第一線にいらした望岡先生。孵化したばかりのウナギであるレプトケパルスを、日本から約2,000キロ離れたマリアナの海で発見したのは1991年のことでした。船の研究室が「歓喜にわいた」感動の大発見を経て、望岡先生はフィールドを日本の河川に移しています。

これがウナギの「レプトケパルス」。
発見の瞬間の感動は、いまも鮮明に覚えているそうです。

「食材として日本人に愛されてきたウナギが減り、保護の必要に迫られています。保護するには生態を知らなければなりません」と望岡先生。産卵場の調査はロマンのある研究として人気が高かったのに対し、河川のそれにはあまり光が当たってきませんでした。南の海で生まれたウナギのほとんどは、日本にやってきて河川で暮らすのだから、たとえ地味でも十分に重要だと、望岡先生は考えたのだそうです。

思い出の中にその姿を浮かべることのできる人は、もうわずかかもしれません。かつて日本には、川はもちろん、池にも田んぼにも、お堀にだってウナギがいました。ウナギは、あちこちで見ることのできる「おなじみの」魚だったのです。日本中の河川が、護岸が空隙の無いコンクリートで固められ、水門ができて遮断され、ウナギの生息域はどんどん狭くなってゆきました。これは川だけの問題ではありません。

かつては田んぼにもいた?
日本のウナギが減った理由​

里山が機能していた時代、山からの水は田んぼに使われ、土の水路を通って川に海に流れ出すことで、それぞれがつながっていました。健やかな山に蓄えられた養分は、水の流れとともに運ばれて、川や海も豊かにします。経済的価値を失った人工林が放置されて力を失っていることもまた、ウナギの住む環境を悪化させているのです。河川のベテラン漁師さんによると、きれいに見える川さえ今は、「50年前の川とは別の川」なのだそうです。

空隙のないコンクリート護岸はウナギの隠れ家を奪い、
魚道のない堰は上流に向かうことを阻んでいる。

望岡先生は語ります。「護岸のコンクリート化は、水害のリスクから住民を守るためのものでした。だけどやりすぎてしまいましたね。コンクリートで固められた川は、水の流れがスムーズになりすぎて、サーっと石まで持っていく。本来、石が多く、浅く流れの速い“瀬”と、深く流れのゆるやかな“淵”とがある河川は、藻類や水生昆虫、エビやカニなど、たくさんの生き物のすみかになります。それらが根こそぎ失われてしまった状態です。干潟や、群生するヨシもあまり見られなくなりました」。川の中で食物連鎖の頂点に立つ、「アンブレラ種」であるウナギは、下に連なる生き物がいなくなれば生きてはゆけません。

瀬と淵のある川は、たくさんの生き物を育みます

「食べるのをやめよう」
ではなく、
取り戻そう

そんなウナギのSOSに応え、望岡先生が河川で行っている取り組みは主に、「石倉(いしくら)かご」と、「魚道(ぎょどう)」の設置です。石倉かごは、石を詰めた樹脂製のかご。これを沈めると、ウナギの隠れ家になると同時に、エビやカニのすみかにもなります。人工物による大きな段差などには、石倉かごを応用したつくりの魚道を設置して遡上を助けています。望岡先生曰く「どちらもあくまで緊急避難用」。設置活動を流域の住民と共に行うことを通して、河川に関心を持つ人が増えることを願っているのだそうです。

「流域住民がいかに本気になるかなんです」と望岡先生。その理由は、「その工事をしたら、住んでるウナギはどうなるの?」などと気にかける住民がいることが、行政に声を届け、ひいては川の環境を守ることにつながるからです。「ウナギという魚が特別なのは、生きたウナギがそこにいると知るだけで、地域の人の関心が変わること。ウナギがいるんですか?って、子どもも大人もびっくりするんです。ほかの魚だと起きない反応ですよね」との望岡先生の言葉に、なるほど、この取り組みの根っこの部分が見えてきました。

ウナギを介して、河川への関心を喚起できれば、そこにつながるさまざまな自然環境への問題意識が高まるかもしれません。「だから」望岡先生は言葉を続けます。「減っているから、食べるのをやめよう、採るのをやめよう。という話を、私はしたくないのです。ウナギは、さかのぼれば縄文人も採って食べていた魚です。ウナギの漁具や漁法は、他に類をみないほど他種多様で、伝統漁法は細々と引き継がれています。採るのをやめたら、これらの漁撈文化が一気に失われ、川を守っている漁師さんのウナギへの関心も減ってしまいます。江戸時代から続くうなぎ蒲焼きを大事においしくいただきながら、これからも身近な魚として思いを寄せましょう。みんなで、ウナギを取り巻く環境に関心を持ち、山から河口まで、一本でも理想とする川を取り戻そうではないですか」

このまま幻の魚になってしまうのか…

2014年から地元高校の生物部とともに石倉カゴを用いて堀割の生き物のモニタリングを継続中。
柳川の堀割は、かつては天然ウナギの楽園だったが、現在までにその姿を確認することはできない。

取材を終えて

写真の笑顔が伝える通り、あたたかなお人柄の望岡先生。研究対象のお魚に向き合うだけでなく、地域の人たちと対話しながら、ウナギを通じて里山に考えを至らせる取り組みをあちこちで。その道の専門家であることと、その道のことをわかりやすく伝えられるかは別のことだと思います。望岡先生は、やさしい言葉で、絵本を開くようにお話ししてくれます。子どもを含むふつうの人たちの間で活動が広がっているのは、だからではないかと思います。
取材のあと、先生に教えてもらった博多の専門店で、おいしいうな重をいただきました。こころから、「ごちそうさまでした」。(取材・文:みつばち社小林奈穂子)